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2014年2月17日
前にもちょっと書いたが、テレビを見なくなって2年になる。
実を言うと僕は、長い間自分が本来背負わなくてはならないものよりずっと軽いものしか担っていなかったという負い目があって、テレビ見るくらいならちょっとはちゃんとせーよ、と思ったのが直接の動機である。
しかしそうはいっても便利な世の中には誘惑がいっぱいあって、なかなか胸を張れるような生活もできないもんだなと、日々懺悔ばかりだ。
人にはそれぞれ相応の荷物の重さがあって、なんでもかんでも同じにするのが平等ではないのはいわずもがなだが、僕なんかはその平等をたてに軽い負担で責任を逃れて来てしまった。
だが近頃は、うまく逃れたつもりでもいつかは負うべき荷を架せられるのかもしれないなと感じている。
過酷な人生を生きた人の後半生は安穏に、気楽に生きてしまった人には重い現実や、あるいは命をもって精算するシステムがあるのではないかと時々思う。
中部、関東以北の雪害にあたって、報道や政治家が相応の責任を果たしていないと僕も思う。
オレンジの金柑がうららかに輝く土地に住む僕らにはどうすることもできないのだから、民意の代弁者達にはもっとがんばってもらわなくちゃ。
僕も少しは重い荷物を背負う覚悟は出来ているから。
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2014年2月10日
うちは古い農家なので親戚が多い。
年に3度の祥月の法事と、数年に一度は3部供を唱える大きな法要が巡ってくる。
最近では、曾祖父の50回忌、曾祖母の33回忌も営んだが、どこまで続けられるかという不安はある。
だけどなかなか会う機会のない親類縁者と酒を酌み交わしながら昔話に花を咲かせるのは存外嬉しいもので、形は変わって行くかも知れないが、僕は出来る限り続けたいと思っている。
そんな親戚の中でも祖父の兄弟や従兄弟が80歳を超えてまだ存命で、彼らの昔話が実に興味深く面白い。
苦労話もするが、重ねた年齢がそうさせるのか不思議と辛い話しとしてではなく、どちらかというと滑稽な話しとして聞かせてくれるからこちらも相づちを打ちやすい。
中でも子供の頃に熱中した遊びの話題には、今では想像も出来ないほど豊かな自然や大らかな人情が織り交ぜられていて、いつまで聞いても飽きない。
「うなぎかき」という道具を使って干上がったため池の泥の中を探って鰻を捕まえる話は面白く、今も納屋の梁に「うなぎかき」はくくりつけられているから修理していつかどこかで試してみたいとも思う。
「もんどり」を使って小魚を捕る話も好きだった。手作りのもんどりもまだ何本か残っている。
サクラの頃に岸近くへ出てきたモクズガニをランタンで水面を照らして捕まえに行く話。
米ぬかをおくどさん(かまど)にかけたホウロク(素焼きの大皿の様な調理器)で煎って、小麦粉と混ぜて団子を作る。それを池に放り込んで寄せ餌にして数時間後。直径1m程の半月状の網を長い竿に取り付け、静かに底を手前に向かって引くと一度にドンブリ一杯もシラサエビが捕れた話。
大雨の後、細い水路を伝って水田に上ってきたモロコや鮒に鯉やナマズを捕まえて、甘露煮や蒲焼きにした話。
スイカを餌に鯉を釣ったり、ドジョウを餌に鰻を釣ったり、とにかく家の横が大きなため池だから、魚を捕まえる話しが中心なのだが、他にも大きな木の高い枝からぶら下げた巨大ブランコの話しや、何十本も松茸がかたまって生えていた話、アケビを食い過ぎて腹をこわした話、竹竿の作り方、弓矢の作り方、投網の打ち方、破れた網の補修の仕方、鳥や猪の解体の仕方等々...
実はこれらは僕も子供の頃、爺さんに手ほどきを受けて、「うなぎかき」と猪の解体以外は全部経験済みなのだが、捕れる魚やエビの数や大きさが桁違いなのだ。
きっと爺さんは僕に教えながら、昔より捕れないことをさぞかし悔しく残念に思っていたことだろう。
かつてはどれも娯楽というより生活の中の当たり前の光景か、もしくは空腹を満たすために必要な作業だったはずだ。
爺さんのそのまた爺さんの頃からの古い風習が、僕には羨望とともにキラキラと輝いて見える失われた楽園のように映るのだ。
「お前、ホテガン知らんのか?!」
「え、何それ?」
「モロコよりちょっと太い、鱗がギラギラした腹のボテッとした奴じゃが!」
「クチボソ?ゴシキ?タナゴ?」と、思い当たる小魚を並べるがすべて違うという。
「ホテガンはホテガンじゃ!」
何年か前の法事の時の話題である。
ならばと魚類図鑑を持ってきて、淡水魚のページを全て見せたが爺さま達はどれも違うという。
「モロコや鮒を釣ろうとしても、ホテガンが先に食いついてな、あいつニガくてマズいのに、嫌われもんじゃ!」
「どの池にもぐずぐずするくらいおった」というホテガンを、一回り年上の親戚のアニキは知っていると言うが僕より年若のものは誰も知らない。
うーむ、ホテガンホテガンなんだろな?
いくらため池堤防の改修工事が進んだとはいえ、外来種による食害や環境汚染が蔓延しているとはいえ、これだけため池の多い土地柄だからまだどこかに生きているのではないか?と淡い期待を抱いているのである。
来年は婆ちゃんの25周忌の法要だ。
なんとか爺さま達が生きている間に、ホテガンの正体を突き止めたいものである。
2013年9月27日
遠来の友人と共にうどん屋巡り。
まずは近くの「上田製麺所」
ここは踏み切り横にあって目立つのだが、駐車場が無いものだから寄りにくいのだ。
しかし、一度食べればまた行きたくなる、すっきり透明なのにうま味の強い出汁とやや細麺の組み合わせは相性抜群(写真撮り忘れ)
次は、善通寺市から高松市へ引っ越して来られた「清水屋」さん。
讃岐うどんの源流たる中太麺スタイルを守りながらも、モチモチとした食感が何とも言えない幸せを連れてくる。
ちょっと甘めでイリコの良く利いた出汁は、類似の味が思い出せない独自性があっておいしい。
さて、だいぶ腹も膨れてきたけど、前回に続きここだけは行きたいとご所望の「一福」(いっぷく)。
言わずと知れた「奇跡の麺」と評される、細くて腰があって伸びる麺が絶品の超人気店。
いちど麺だけ買って帰った事があるけど、麺だけを食べて驚いた。
醤油も出汁もなくたっておいしい(笑)
もちろん出汁もうまいよ。
ちくわの天ぷらも取ってしまったんだな(汗)
もう腹一杯だが、せっかく香川に来たのだからと、とりあえず一般店の西の横綱とされる「おか泉」の場所だけでも見に行こうとなった。
ロバートデニーロ似の大将はゴッドハンドを持つ職人のひとりとして有名で、いろいろと忙しいからいつも麺を打っているわけではないので、大将の日に当たるとラッキーだ。
店の前まで来て、食わずに帰るのもなんだからと結局入店。
看板メニューの「ひや天おろし」だとボリュームがありすぎ、さりとて、あのめちゃ旨の天ぷらを食わぬのも癪だから、思い切って「ぶっかけ天」(写真参照)を二人で注文。
既に胃袋は拒絶反応をみせはじめているというのに、うどんをひと筋すすって驚いた。
驚きのあまり二人で顔を見合わせて「なんじゃこれは...」と、しばし無言。
もうひと口食べてそれは確信にかわる。
あとはもうずるずると、胃袋はもういらないって言っているのに、あまりに旨すぎて口と喉がもっとくれ!と、うどんをどんどん飲み込んで行く。
ここへは何度か訪れて、いつもとてもおいしいのだけど、今日はいつもの「おか泉」のそのまた上を行っている。
二人ともあっという間に完食、そして感動。
みれば今日は大将がいるじゃん!
さすがゴッドハンド!
さすが西の横綱!
まったく次元が違うとはこのことだ。
小麦粉と塩と水だけの食べ物がここまで感動を与えてくれるとは...
今日は「おか泉」の神髄を味わった気がした。
おか泉の大将おそるべし!!
2013年7月23日
僕の部屋にはテレビがない。
去年の地デジ化に伴い、良い機会と好きだったテレビを見ることを止めた。
一年も経つとすっかりテレビを見るという習慣が抜け、今は見たいと思うこともなくなった。
最近よくCMに出ているという井川遙ちゃんが見れないこと(笑)、映画が気軽に見られないこと、それ以外はなにも困ることはなくなった。
しかし、今週末の日曜日だけは久しぶりにテレビが見たいのだ。
1985年と1988年、僕はSUZUKA8時間耐久レースを観戦に行った。
くしくもこの両年が8耐史上最もエキサイティングな出場メンバーを擁し、同時に伝説的とも言えるレース展開となったのだ。
2コーナーアウト側観客席で見ていた僕の目の前で、いくつものドラマが起こった。
予選でただ一人初めて2分20秒の壁を突破して見せた、現役を引退した直後のGP500元世界チャンピオン「ケニー・ロバーツ」は1時間で五十数台を抜き去るという離れ業をやってのけ、日本の絶対エース「平 忠彦」はどちらのレースもあと数十分を残し、マシントラブルで僕の目の前のコース上にマシンを止めた。
まだ新進気鋭だったケヴィン・シュワンツは1988年、プライベーターの雄「ヨシムラ」のエースナンバー「12」を着け、序盤のミスを取り戻すべく誰よりも早いラップで周回を重ね、最後のターンでは通常1時間ごとのピットインで交換されるタイヤを、3時間も無交換で走り、それでもトップチームと遜色ないラップを刻んで、あと少しトップには及ばなかったが堂々2位をゲットした。
その翌年のGP500クラス、スズキのエースとして望んだ第1戦鈴鹿GPでケヴィンは、ヤマハのエース「ウエイン・レイニー」と長いグランプリ史上最高のレースのひとつとも賞される稀に見るデッドヒートを繰り広げ、贔屓チームなど関係なく見るものすべてを興奮させた。
その様子がこれだ↓
https://www.youtube.com/watch?v=5dulBN1HcAo
やっぱりGPマシンは2ストだな!
ちなみに彼のラッキーナンバー、ゼッケン34は現在もMOTO GP最高峰クラスの永久欠番である。
様々なタイトルを奪取し、世界チャンピオンにまで登り詰めたレイニーとシュワンツだが、レイニーはレース中の事故で下半身付随となり、シュワンツにはどうしても届かないタイトルが残った。
それが鈴鹿8時間耐久レースの優勝だ。
シュワンツ(49歳!)はその忘れ物を取りに、今年21年ぶりに鈴鹿サーキットに戻って来た。
公式練習では早くもトップチームから僅か遅れの好位置に付けている。
平忠彦の例を引くまでもなく、8耐には魔物が棲んでいるといわれる。
またもシュワンツは魔物に翻弄されるのかも知れない。
だが、優勝なんかしなくていいのだ。
ただ彼が、あの独特のライディングフォームでサーキットを疾走する姿を見れるだけで僕は幸せだ。
チケットはとっくの昔に完売だ、だからテレビが見たいのだ!
https://www.asahi.com/and_M/interest/OSK201307100017.html
2013年7月12日
高松市中心部にある法務局への所用のついでに海が見たくなり、サンポート高松へ立ち寄る。
高松港の再開発に伴って整備された親水公園は市民の憩いの場であるが、さすがに酷暑に恐れをなしてか人影はまばらだ。
しかし海風のせいで意外と暑さは感じず、日よけさえあれば何時間でも過ごせそうな感じだった。
その昔、連絡船が行き交っていた時はひっきりなしに大型船が出入りしていたが、今は静かな海にヨットと漁船が浮かんでいる。
左奥に見えている白いマンションビルの向こう側には、かつて市民プールがあった。
50mプールと流水プールを備えた本格的な施設で、フェンス一枚隔てて海とヨットハーバーに接しているという珍しいロケーションにあるこのプールが僕は大好きだった。
大好きだったのにはもう一つ訳があって、僕は学生時代ここで2年間監視員のアルバイトをやっていたのだ。
ビキニのおねーさんをサングラス越しに日がな一日眺めて過ごすという、なんとも有り難い仕事で、学生ばかり30人ほどがローテーションを組んで見回りをやっていた。
いまでも参加する同窓会が幾つかあって、最近必ず顔を出すのは中学校の同窓会。
僕らは珍しいくらいに問題のない良い子ばかりの学年で、そこんところは先生方に今でも褒められる程で、だからなのかいつまでも仲が良く、毎回学年総数の3分の1程の参加者がある。
もう一つがプールのバイトの同窓会だ。
バイトの同窓会なんて聞いたことがないが、これがどうしてとても楽しい同窓会なのだ。
大学生ばかりが何十人も同じ職場で働き、仕事がはけるとドライブだディスコだ花火だとばかなことばかりやっていた頃の同志というのは、学校の友人とも職場の同僚とも違う特別な何かで繋がっている感じがするのだ。
懐かしくほろ苦い記憶と共に酌み交わす酒は(あまり飲めませんけど)実に美味いものだ。
サンポートから海を眺めると、真っ黒に日焼けしたあの頃の友人の顔が押さえようもなくよみがえるのだ。